鳩間島ってどんな島?

■鳩間島の概要
 東京から直線距離にしておよそ2000km、八重山諸島は西表島の北約7kmに位置している小さな島が鳩間島です。西表島のほうから望む島は、周辺部が平坦で、島の中央部がこんもりと盛り上がっています。この小高い丘陵状の森が鳩間中森。島でいちばん標高が高いところで、灯台が立っています。
 島は歩いても1時間弱で一周できてしまうほどの大きさで、港のある島の南側に集落が形成されています。集落のいちばん東側には100年以上の歴史を持つ鳩間小中学校があります。集落以外の場所はほぼ原野となっており、海岸線沿いにプライベートビーチのような小さい砂浜がいくつか点在しています。また、島の北西には2010年に復元された石積みの遺跡「武士家(ぶしんやー)」があります。
 島の主な産業は民宿経営などの観光業で、そのほか傭船、郵便・宅急便業務、漁業、牧畜、学校関係業務などを個人レベルで行なっています。一方、魚介類などの海からの豊富な恵みと、冬から春にかけてできる農作物(主に野菜類)によって、いまだに半自給自足的な生活が成り立っています
 島には約10軒の民宿がありますが、八重山のほかの島にあるようなリゾートホテルや観光施設、有名な見所などはありません。しかし、なにもないからこそ、なにものにも追われることのない贅沢な時間を過ごすことができます。また、海の美しさは天下一品で、シュノーケリングでも充分に楽しめます。美しいサンゴ礁の海で泳ぎ、島を散歩し、木陰でまどろみ、夜には泡盛を飲む――ゆったりと流れる時間に身をゆだねながら、南の小さな島でのオフタイムを存分に満喫してください。

●所在地=〒907-1544 沖縄県八重山郡竹富町鳩間
●面積=0.96平方キロメートル
●周囲=3.941km
●人口=52人(2012年3月末現在)

 鳩間島全景(左) 灯台が建つ鳩間中森


■鳩間島の歴史
 鳩間島の起源は、1702(元禄15)年に黒島から約50人の人々が移り住んできたのが始まりとされています。一時は人口が500人ほどになりましたが、1771(明和7)年の大津波の襲来と大飢饉、1873(明治6)年のマラリアの流行などにより、住民は100人近くまで激減。しかし、大正期以降はカツオ漁が勃興し、カイジンソウおよびツノマタの養殖も軌道に乗り、1949(昭和24)年には人口650人を数えるほどにまでなりました。また、この年には鳩間小学校に鳩間中学校が併置されました。
 これより前、1896(明治29)年には大川尋常小学校鳩間分校(現在の鳩間小学校)が創立、1938(昭和13)年には鳩間郵便局が創設されています。
 ところが、1949年をピークとして人口は徐々に減少。昭和40年代にはカツオ漁が衰退し、1974(昭和49)年には中学校が廃校になってしまいます。やがて、いよいよ小学校も廃校かという間際に、島では里子制度を導入。島民が里親となり、養護施設や親戚筋から子供を預かることによって小学校を存続、中学校も復活開校させたのです。
 1996(平成5)年には鳩間小学校が創立100周年を迎えました。ここ数年、生徒数は小中学校併せて10人前後で推移。里子制度は現在も続いています。
 1980(昭和55)年には、海底送水の竣工により、それまで井戸や雨水に頼っていた水の確保が水道でできるようになり、1983(昭和58)年には海底送電も始まりました。ずっと都会で生活してきた人々には想像がつかないかもしれませんが、鳩間島では水道や電気が通じるようになって、たかだか30年ほどしか経っていないのです。
 2000年ごろまでは島に主だった産業はなく、島民はそれぞれの手段で現金収入を得ながら生活していました。しかし、21世紀を迎えて観光客が徐々に増加。石垣〜鳩間間の高速船の定期運航化に加え、2005年に鳩間島を舞台にしたテレビドラマ『瑠璃の島』が放映されたことが起爆剤となり、現在は多くの観光客が訪れるようになっています。それに伴って島内には民宿も増え、石垣島からの日帰りツアーも催行されるようになりました。

 島民の手によって復元された武士家(左) 友利御嶽での神行事(右)


■鳩間島の四季

SPRING(春)
 3月中旬、低気圧の接近によって天気が荒れる「ニンガツカジマーイ」が終わると、八重山地方にも春がやってきます。4月になれば日増しに気温も上がり、天候も安定するようになります。気温はときに25度以上まで上昇し、夏のような陽気になることもあります。毎年ゴールデンウィークの5月3日には、島の一大イベントとなった鳩間音楽祭が盛大に開催されます。

 鳩間小中学校の卒業式(左) GWの恒例イベント、鳩間音楽祭(右)

SUMMER(夏)
 ゴールデンウィークが終わって間もなく沖縄は梅雨入りとなります。6月中旬〜下旬ごろ、カーチバイ(夏至のころに10日間ほど続く、南よりの強い季節風のこと)が吹いて梅雨が明けると、いよいよ夏の到来です。連日、30度を越す暑い日が続きますが、いちばん南国らしさを満喫できる季節です。毎年旧暦6月の壬(みずのえ)には、島最大のお祭り、豊年祭が3日間行なわれます。新暦に直すと例年だいたい7月中〜下旬の間に行なわれています。また、旧盆には獅子舞も披露されます。なお、八重山の夏から秋にかけては台風シーズンにあたり、だいたい7月中旬ごろから台風が頻発するようになります。年によって異なりますが、台風の当たり年には台風が続けざまに八重山地方に接近・直撃することも珍しくありません。

 サンゴの海でシュノーケリング(左) 豊年祭のハーリー(右)

AUTUMN(秋)
 まだ夏のさなかにトンボが舞いはじめると、そろそろ秋が近づいてきます。秋の気配は、台風がひとつ去るごとに色濃くなってきます。9月になれば、心なしか海の水も冷たく感じられます。といっても、天気がよければ夏のような暑さになるのですが。寒露のころを過ぎると、北または北東の季節風(これをミーニシと呼ぶ)が吹き始め、気温も徐々に下がってきます。島では例年10月下旬〜11月上旬の間に、豊年祭と並ぶ大きなお祭り、結願祭が行なわれます。

 九月願(左)と結願祭(右)

WINTER(冬)
 北東の季節風が強く、曇天の日が続きます。気温が10度以下に下がることはまずありませんが、風が強いため、思いのほか肌寒く感じられます。海が荒れる日も多く、石垣〜鳩間間の高速船や貨客船がたびたび欠航となります。悪天候が長引いたときには、1週間以上も船が通わなくなります。正月は各家庭で祝いますが、旧正月よりも新正月で祝う家庭のほうが多いようです。この季節の大潮のときは、1年のうちで最も潮が引く時期で、夜の干潮時には水位がマイナスとなります。島の人々は懐中電灯を手に、サザエやタコや魚をとりに真夜中のリーフへと出掛けていきます。

 冬場は曇りの日が続く(左) 民宿まるだいの正月(右)